「~すべき」より「~したい」が伝わる

みなさんは、仕事や家庭で、こうした方がいいんじゃないかと思ったときに、相手にどのように伝えているでしょうか。

ここでは「~したい」という言い方が、「~すべき」よりも相手に受け取ってもらいやすいということを書いていきたいと思います。

ついつい言ってしまう言い方「~すべき」

ついつい言ってしまいがちなのが、次の言い方であると思います。

こうすべきだよ

こうした方がいいよ

私も仕事で、「一般的にはこう言われているので、こうすべきだと思います。」「お客様がこう言っていたので、こうしなきゃダメです。」「○○君は、その仕事をするときは、こうした方がいいよ。」とついつい言ってしまいます。

特に違和感はなく使ってきました。

しかし、相手の反応は悪いと感じていました。

会議では意見が通らない。

アドバイスした相手は同じことを繰り返す。

目上の人に使うには、強い言葉になってしまうので言いづらい。

皆さんもこのような経験はあるのではないでしょうか。

「君の意見はどうなんだ」と言われたときに気づいたこと

ある時、先輩に依頼をした時に、「上司の○○からこう言われたので、こうしてほしいです。」と言いました。

その依頼は、その上司からその先輩に依頼しておいてと頼まれたもので、かつ少し難易度の高いものでした。私もとても言いにくかったです。

案の定、その先輩に嫌な顔をされました。そして「イタベア君の意見はどうなの?」と言われました。

私は率直に「上司の○○が言ったので、やるべきだと思います。」と言いました。

しかし先輩は「イタベア君自身は、この依頼は、例えば会社のためやお客さんのためにやりたいことなの?だったら、まぁしょうがないけど、この依頼を受けるよ。そうじゃなかったら忙しいから無理って、その上司に伝えて。」と言いました。

内心「めんどくさいな。会社でやってることなんだから素直に受けるのが当たり前だろ。というか、うちの上司も直接言ってくれたらいいのに。」と思っていましたが、

『私自身が、会社のためやお客さんのためにやりたいこと』として考えることも一理あると思い、何とか言葉をひねり出して、私としてもやりたいこととして伝えました。

・これを行うことによって、お客様のこの課題が解決される。

・このお客様と、現在商談をしていて、成約させるための布石としてこの依頼を受けたい。

・ただ、私たちの力だけではこの依頼をこなすことができず、先輩に力を借りたい。

このように先輩に伝えましたら、本当に忙しい人だったので渋々ですが、何とか依頼を受けていただきました。

なぜ「~すべき」だと受け入れられないのか。

なぜ「~すべき」だと受け入れてもらえないのか。

それは、「今その人がそのように行動しているのには相当の理由があり、それを考慮せずに行っているから」だと考えています。

例に挙げた先輩で言うなら、もしかしたら

忙しいのは、明日までが納期の案件を対応していたからかもしれません。

意地悪く言われたのは、その先輩も過去に意地悪く断られたのかもしれません。

もしくは、体調が悪かった?奥さんと喧嘩した?幼少期にあったひどい事件が人格形成に大きな影響を及ぼした?

私はその先輩とは、当たり前ですが、生まれてからずっと寝食を共に過ごしていたわけではありません。毎日話しているわけでもありません。

その人が今までどんな経験をしてきたかというのはわからないのです。

私も行動の一つ一つは、例えば小学生の時の失敗や成功の体験を基に、判断して行っています。

このブログのテーマを「人生のセオリー」としているのも、これまでの人生でなかなかうまく行かないことが多く、成功している人をうらやましく思い、そんな中うまくいった方法や考えに出会えると嬉しかったからです。

なので、確かに、もしこのブログのテーマに対して、いきなり

「ビジネスハックなんて、だれでもやってるからやめた方がいいよ。」

「それよりも今旬な話題を取り上げるべきだよ。」

と言われたら、「ですよね!」・・・とはなりません。「うるさい!」と思ってしまいます。

ひろゆきさんの名言(?)の「それってあなたの感想ですよね?」とついつい思ってしまいます。

アドバイスは、自分の価値観からのもの

自分がよかれと思って伝えたアドバイスは、あくまで自分の価値観からうまれたものです。

価値観とは、自分が今までに経験した成功や失敗などから形作られたものです。

もちろんこのように根拠はあるので、アドバイスとしては正しいでしょう。

さらには、困っている相手のためを思って言っているので、悪いことではないでしょう。

ただここで気をつけたいのは、そのアドバイスは簡単にその人に受け入れられるものではない、と少しだけでも思ってほしいことです。

アドバイスの根拠が、一般的な事例に基づくものでもです。

”一般的”と言いましたが、これも自分のアンテナにひっかかったものなので、あくまでも自分の価値観に合ったものである可能性があります。

アドバイスは、どこまで行っても、自分の価値観から生まれたものでしょう。

相手も今まで培ってきた経験で行動している

その人がたとえ間違った行動をしていたとしても、そうしたことには理由があります。

その人も今まで培ってきた経験を基に行動した結果、そうしているのです。

以前似たような案件で成功した方法を、今回も間違いないと思って取り組んだのかもしれません。

ビジネス書やインターネット記事から得たことをヒントに、挑戦してみたのかもしれません。

別のクライアントから急な依頼があり、そちらを優先して対応していたのかもしれません。

プライベートで災難があり、落ち込んでいたのかもしれません。

飲み過ぎたり、夜更かしをしたりして、体調が悪いのかもしれません。

(その飲み過ぎも、夜更かしも、友人の相談に乗っていたのかもしれません。)

自分がアドバイスしている相手は、一生懸命生きてきて、今行動しています。

これは並大抵のことではありません。かなり堅固な価値観を持っているでしょう。

そのような価値観をもつ相手にアドバイスをするのです。

「~すべき」「~した方がいい」「そんなんだからダメなんだ」

と強い口調で言っても、そう簡単には受け入れてくれないでしょう。

柔らかい言葉で「~してほしい」と伝えたとしても、必ずその理由を丁寧に伝えないと相手に受け入れてもらうことは難しいと感じます。

人の役に立ちたいのは、人の性

一方、人の役に立ちたいと思うことは、人の心の働きと感じています。

頼まれて、自分にできることをしてあげ、感謝をされたら嬉しいものです。

言い方を変えると、責任のないことはやってあげようと思えます。

そこで、「~したい」という言われれば、それは自分がやりたいこととして提言されているのですから、相手としては受け入れやすいです。

聞いた相手としては

「どうぞ好きなようにやってください。できる範囲で協力します。」

「協力するためであれば、やり方を変えましょう。」

と思えるでしょう。

事例

いくつか事例を書いていきます。

事例①

・会社のやり方に不満があり、上司に提言するとき

すべき君
すべき君

いつまでも同じ事業に甘んじず、新しい分野に進出すべきだ

したい君
したい君

いつまでも同じ事業に甘んじず、私は新しい分野に進出していきたい

もし私が上司であれば、

「すべき君、君のいいこともわかるが、今わが社には、新しい分野に資金と人材を投資する余裕はない。」

「したい君、なるほど何か考えがあるのかな。ではこの後時間を取って、君の考えを聞いてみよう。」

と返答します。

ここでは、どちらも提言してはくれていますが、「それを誰がやるのか」というのの受け取られ方が異なります。

例えば「~すべき」からは、「上司か役員か、もしくはできる人の誰かが」と受け取れます。

一方「(私は)~したい」と言われれば、まさしく「発言した私がやる」ので、聞くほうとしては身構えずに、まずは話を聞いてくれるでしょう。

評価も、

「すべき君は文句ばっかり言っている」

「したい君は自発的だ」

と思えるは私だけでしょうか。

事例②

・クレームをもらってしまった後輩にアドバイスをするとき

すべき君
すべき君

君のやり方ではお客様を怒らせてしまうのは当たり前だ。確かにこの課題の解決は難しいが、まずは一次回答でも早く連絡すべきだった。

したい君
したい君

私はこのプロジェクトを成功させたいし、君に成功体験を積ませたいと思っている。確かにこの課題の解決は難しいが、まずは一次回答を早く連絡してほしかった。

ビジネスにおいてお客様に早く返答することは、天地がひっくり返っても覆らないほど大事です。

皆さんには痛いほどわかっていただけるかと思います。

しかしそのくらい「一般的な」ことでも、相手に伝えるときは、「~すべき」よりも「~したい」と伝えたほうがよいと感じています。

もし私がアドバイスを受けた側であれば、

「すべきさんの言っていることもわかりますが、この課題は本当に大変で一次回答もどう返していいかわからなかったんです。すべきさんに相談したかったのですが忙しそうで(というかすべきさんにも、気にしてほしかったんですが、、なにを今さら言ってるんだ)。しかも他にも対応しなければいけない案件が重なって一日一日と遅くなってしまいました。」

とは”言わずに、心の中で思いながら”、

「わかりました。すみません。気を付けます。」とだけ言うでしょう。

そしてまた同じことを繰り返すでしょう。

一方、したい君には

(うっ、したいさんの大事なプロジェクトに迷惑をかけてしまった。)

「申し訳ございません。」

(僕の成長を気にしてくれているのであれば、僕の意見も聞いてくれるかもしれない。)

「実は他にも対応しなければいけない案件が重なって、一日一日と遅くなってしまいました。」

と言うでしょう。

「~したい」と言ってみよう

「~したい」と言ってみましょう。

と、実際に言おうとしてみると、心の葛藤が生まれると思います。

それは、自分の意見としていうからで、かつ、自分が責任をもって行うことになるからです。

ですが、それがいいのです。

不満に思っているのは、あくまで自分です。

自分の価値観と異なるから、提言したり、アドバイスしたくなるのです。

提言やアドバイスを受け入れてもらったときに利するのは、必ず自分です。

自分の思い通りになった時の満足感は、とても心地よいものです。

ですが、相手を思い通りに動かすことは、ただではできません。

「~すべき」の責任は、相手にあります。

「~したい」の責任は、自分にあります。

そして、責任が無い状態での行動、つまり支援は、してくれやすいです。

自分に責任が乗るのは嫌でしょうか。

それならば、言わない方がいいでしょう。

「無責任な提言、無責任なアドバイス」

相手はそのように受け取ってしまいます。

私もがんばってやってきているのに、なにを言っているだ、と。

それは嫌ですよね。

問題を解決したい思いは、素晴らしいです。

ぜひとも「~したい」と言っていきましょう。

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