「コロナ陽性です。」
年明けに熱が出て、病院に行き、医者からコロナであることを言い渡されました。
ついになってしまったか、、、という気持ちでした。
どこで感染したんだろう、、、と心当たりを探っても、特にありません。
熱以外の症状としては気管支が少し苦しく濃い痰が絡むのみで、ほかは特になかったように思います。
頭痛やのどの痛み、嗅覚・味覚障害は、思い返せば多少はあったのかもしれませんが、高熱や痰の絡みほどはっきりしてはいませんでした。
この記事では、コロナにかかったときに思ったことを、つらつらと書いていきたいと思います。
大まかに書くと、良いと思ったことはなく、悪いと思ったことばかりでした。
<思ったこと>
- ベッドで一日ずっと寝ているのは、体が痛くて、鼻がつまってつらい。
- 高熱が出ていると、インプットばかりで、アウトプットできなくてつらい。
- ずっと同じ場所にいるのはつらい。
- 習慣となっている朝の活動ができなくてつらい。
- 自分は病気だけれども、仕事はそれでも進んでいくことがつらい。
主には以上です。
一つづつ書いていきます。
ベッドで一日ずっと寝ているのは、体が痛くて、鼻がつまってつらい。
高熱が出ていたので、ベッドに横になり、一日中寝ていました。
起き上がったのはトイレに行くくらいで、ほぼ横になっていました。
そうすると、体が痛くなってくるのですが、特に内臓周りが圧迫されるようにずきずきと痛くなってきました。
これは推測ですが、普段とはちがう位置に内臓がくるので、お互いを圧迫しあうのではないかと感じました。
そして、鼻がつまります。
私の鼻の形は左側が少し細いのでつまりやすいので、横になって頭部に血が行くと、左側がつまり始めます。
右側はつまらないので、息はできるのですが、やはりつまった感じと言うのはいい気分ではありません。
その時は、つまっているほうが上に来るよう、顔と体を傾けます。
そうすると、つまっているほうの鼻の中の壁が重力ではがれ、鼻が通ってくるのです。
しかし、今度は反対の鼻が重力によりつまってきます。
やはり気になるので、今度は反対に体を傾けます。
そうするとつまっているほうの鼻は通り、通っているほうの鼻はつまります。
この繰り返しです。
体が痛いのと、鼻のつまりで苦しめられていました。
ただ、私は鼻づまりのレーザー手術を受けていたので、この程度で済んだのだと思っています。
レーザー手術を受けていなかったら、両鼻がつまり息ができず、酸欠と高熱で脳細胞は破滅していたでしょう。
レーザー手術を受けていてよかったと思いました。
高熱が出ていると、インプットばかりで、アウトプットできなくてつらい。
私の場合、アウトプットとはブログを書くことなのですが、アウトプットはとても気力が必要で、高熱がでている状態ではまったく気力が出ません。
インプットは、YouTubeやVoicy、またはネット記事から仕事に役立ちそうな情報を得ています。
理解するにしろ理解しないにしろ、インプットは楽にできます。
YouTubeやVoicyを聞き流すだけだからです。
ただし、インプットだけでは、勉強はできているのかもしれませんが、虚しい充実感があります。
アウトプットしてこそ、今までインプットしてきた情報をしっかり思いだして、自分なりのかたちに定着させられるので、インプットした意味を感じられます。
といいますか、アウトプットしてこそ、自分を感じられるので、インプットばかりだと自分を感じられず、虚しくなってきます。
ずっと同じ場所にいるのはつらい。
ずっと同じ場所にいるのはつらくなります。
自宅内でも隔離をしていたので、基本的には自分の部屋にいます。
YouTubeやVoicyなど、やることはあるのはいいのですが、それでもずっと同じ場所にいなくてはいけないのはつらいです。
家の中であっても、自分の意志で、リビングに行くとかお風呂に入るとか、トイレにこもるとか場所を変えることによって、気持ちはすっきりするのだなと感じました。
ちなみにですが、この際に自分の部屋の片づけとレイアウト変更をしました。
物の位置を変えるだけでも違う部屋になり新鮮な気分になりますし、不満だったところを改善したり、不要なものを捨て空間が広がるというのはとても気持ちのいいものです。
自分で考えて行動し、かたちにすることにおいては、これも一つのアウトプットだと思います。
とても充実しました。
習慣となっている朝の活動ができなくてつらい。
これも相当つらいです。
自分が今まで積み上げてきたものが崩されました。
朝の活動をしている自分が好きであるのですが、それを奪われたら虚しくなります。
※朝の活動は、筋トレをしにジムに行くのと、その間に散歩して、ドラゴンクエストウォークを楽しむことです。
また、「朝5時に起きて外に出る」という行動は、とても気力がいるので、習慣にしていないと簡単にはできず、今まで習慣化した気力や勢いを奪われ、いらだたしい気持ちになりました。
自宅療養が終わったから、朝目が覚めた時に、睡眠の心地よさと寒さに負けがちになり、ベッドから起き上がる時間が遅くなりました。
朝の活動はやるにはやるのですが、終わりの時間は決まっているので、不完全燃焼で終わってしまいます。
朝だけではなく、寝る時間にも影響し、遅くなってしまったので、余計に朝に起きれなくなります。
何も体を動かさないので、体に適度な疲労がなくなり、寝付けなくなるのです。
眠気もあまりないのですが、体に力がたまっているせいか、むずがゆくなり寝付けなくなりました。
生活のリズムが崩れるというのは、とてもつらいことです。
自分は病気だけれども、仕事はそれでも進んでいくことがつらい。
最後に、これは以前足を怪我した時でも感じましたが、世界は自分中心に回っておらず、自分の歩みが世間より遅いのであれば追いつくように行動しなければならない、ということを痛感しました。
幸い、高熱が出て気力がない時は休日だったため、同僚や顧客とのやり取りに支障はなかったのですが、これが仕事の稼働日であれば、相手は私に聞きたいことが聞けず、私も相手への約束を果たせず、大迷惑をかけます。
私が病気でできないことが、相手にとって許されるものではないのです。
初動や納期が遅れれば遅れるほど、自分も相手も失敗しやすくなります。
その理由が私の病気であることはまかり通りません。
言葉では「お大事に」や「無理しないでね」など言っていただけますが、対応や納期が遅れることを許してもらっているわけではありません。
自宅療養中は、社内の人とはTeamsや電話なのでコミュニケーションをとっておりましたが、その週は出勤するはずだったので、直接会話したい人とはそのように会話することができず、直接会話することでのメリットは実現できませんでした。
病気でも怪我でも、そうなった私としてはもっと自分に気遣ってほしい、ペースを落としてほしいと思ってしまいますが、世の中自分中心ではなく、自分が合わせるように必死で動いていかないと取り残されてしまうことを再認識しました。
つらいですが、そうなのです。
最後に
今の生活ができるのは、それまでに少しずつ自分で決めてきた行動、つまり習慣の上で成り立っています。
周りの人も、いつもそのようにしている自分を想定して、一緒に生活や仕事をしています。
今回はコロナでしたが、他の病気や怪我によっても、この習慣が崩され、いつもしている行動ができないというのは、とても大きな支障が生じ、つらいことです。
コロナ感染の予防だけではなく、健康にも気遣っていく大事さがわかりました。
皆さんも、ぜひとも気を付けてください。
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